宮下タケルのハンサムクッキング

男性モデルが作る美しくなるレシピの料理スライドショー

簡単でおいしい、腸の中から健康に美しくなっていくレシピです。山中湖のペンションでも喜ばれている料理ばかり。作るのも食べるのも楽しくて、その後の体の調子もすごくいいよ!

宮下タケル

Slide Show / Takeru Miyashita

ラベル の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2011年4月15日金曜日

ホッコリ!


久しぶりに歯科医に行った。
その前に時間があったので、ゆっくりコーヒーを飲んで本を読もうとミスドに入ってお気に入りのドーナツを一つとコーヒーでゆったりした気分になり、そしてページをめくりながら物語に入り込んでいた。
しばらくすると、隣の席に3,4歳ぐらいの年頃の娘を連れた母親が座った。
娘は、久しぶりにドーナツを食べたのだろう。可愛い話し声が聞こえてきた。
「お母さん、私幸せ!ドーナッツなんて久しぶりだもんね」
それを聞いて、俺も思わずほほ笑んでしまった。
幸せはいろんなところにあるんだね。
その娘の話を聞いていた母親もとても嬉しそうだった。
娘はいとおしそうにドーナツを食べ、人さし指で皿に残ったドーナツの粉などもきれいに取って食べていた。
ほのぼのとした気分になったが、そろそろ歯科医に行く時間だ。
サクラも強風でずいぶん散って来た。木の下の道路はその花びらで雪が降ったみたいになっている。
今年はゆっくりサクラも見ていなかった。

2011年3月23日水曜日

にゃんにゃん横丁

「深川にゃんにゃん横丁」 宇江佐真理 作
世の中は大変な時だ。やはり読む本もどうも、人情もの、特に時代小説がやっぱりいい。
しかし武士道だの、仇討ちだのではなく江戸町民のくらしの中にほのぼのとした人間同志、泣いたり笑ったりしながら一生懸命に生きる長屋の人達の暮らしぶりが描かれている作品がいい。
宇江佐真理の「深川にゃんにゃん横丁」。
この作品の登場人物達は若者ではなく40、50を過ぎた、まあ当時では年寄りと言っていい、世の中の酸いも甘いもかぎ分けた人達の物語だ。
この長屋のある横丁には野良猫がいっぱいいるのだ。それでこの横丁を誰とは無しに「にゃんにゃん横丁」呼ばれるようになったのである。
そんな猫たちと日々の暮らしの中に些細な事件が起こり、それを年寄りたちが皆で解決して行く。
そこには本当の人情がある。
こんな時だからこそ人の人情に、なんか余計心に響く。

2011年3月22日火曜日

人のために

今朝、家をでる前、テレビで震災にあった、一人の小学生の少年がインタビューを受けていた。イ(インタビュア)「君は将来何になりたい?」少(少年)「大工になりたい」イ「なぜ?」少「家を失くした人たちに家を建ててあげたい」こんな会話を聞いて、日本の将来に希望が見えた気がした。これからの日本はきっと立ち直れると思う。こんな子供たちが一杯出てきてくれると信じている。人のことを考えられる人間が増えて安心して暮らせ世の中を作ってくれるだろう。今回の災害は破壊だけでなく、希望も持ってきてくれた。春はそこまで来ている。

2011年3月16日水曜日

また地震!

昨夜家に帰ってきたら、また地震ぐらぐら・・・ドンと激しい揺れ。静岡で震度6、実家の山梨県忍野村震度5とニュースで言ってたので、思わず母に電話をした。母が電話に出て無事だと言ってたので安心した。まだまだ余談は許さない状態だ。東京も計画停電が実施され、なかなか通常の生活は戻らない。そんな中2人が生きて救出されたニュースに、少しはイイことがないとね、やってられないよね。それからネットで見た映像で、避難所の子供たちが集まってトランプをして楽しそうにしている。皆いい笑顔だ。子供たちは何と順応が早いのだろう!こんな小さな笑顔だけれど大きなやすらぎを与えてくれるよね。人間は本当にたくましい。またニュースで一人の被災者の男性の話を聞いた。自分たちはここで生きていくしかない。未来に向ってもう歩き出さなくてはならない。それが亡くなった人たちの思いでもあるから。と瓦礫になった町に目を向けて言った。心からエールを送りたい。

2009年3月22日日曜日

ふきのとう

今日は朝から嵐のような風が吹き荒れる。そんな中、庭の植え込みの端にふきのとうが花を咲かせていた。かなり育っていたので食べられないけど、花がかわいいもんだな。

政治がなんだの、不景気だの、人がなんだの言っても、季節は変わってゆくし、春は訪れる。
自分に言い聞かせて、また今日を生きる。前を見て歩くしかないよね。もうすぐ桜もさく・・・。

2009年3月21日土曜日

最後の人生の見つけ方

一昨日、TUTAYAでDVDを2個借りてきた。「主人公は僕だった」(これの感想は一昨日書いた)もう一本は「最後の人生の見つけ方」だ。
実は最近、うちの劇団員の身内が相次いで亡くなったり、それから間もなく以前劇団の舞台監督をしてくれた一人がたおれて余命1ヶ月あるかどうか?という連絡をもらった。うちから近い病院だったので仕事の合間を見つけて見舞いに行った。すると普通に話ができて、案外元気だったのでそのときは安心したが、本人の話を聞いてその気持ちは打ち消された。4、5年前ガンで手術をして復帰し、げんきに仕事をしていたのに・・・・?実は、彼はガンがリンパに乗ってしまったことを承知でなんの治療もしないでいままで過ごしてきたのだ。彼の話では抗がん治療をすると寿命を縮めてしまうから、本当の寿命をまっとうしたいと頑張ってきたのだ。それでついに力尽きたと言った。身体全部をどうしたらいいかわからない程の苦痛だったそうだ。それで今はモルヒネで苦痛を押さえているだけだと。そのモルヒネのせいでハイテンションで話ができるんだと冗談交じりで話をしてくれた。 私は複雑な気持ちで笑いを返した。

この「最後の人生の見つけ方」で主人公の二人(ジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマン)が末期がんで余命いくばくもない人生をどう過ごすかという映画だ。借りる時、なぜか知らずにこの映画を手にしていた。
誠実にこつこつ家族の為に仕事(自動車修理工)してきた男(モーガン・フリーマン)とただひたすら金の為に働いて大金持ちになったわがままな男(ジャック・ニコルソン)、二人が同室になり、お互いの気持ちを知って、やり残したことをするために世界旅行に出かけていき、大事なものを見つけるのである。
ここで人間は死に近づくと自分の人生を悔いないものにしようと思うのだろうか?それとも歩んできたものをきっと肯定したいんじゃないのだろうか?
悔いなき人生か?自分自身悔いがないかといわれたら、いっぱいあるな。
この映画の主人公たち、いま、最後の人生のピリオドに向っている彼も、なんか自信をもって人生を生きて来たと言ってる。自分はそんなにきっぱりといえるだろうか?

2009年3月19日木曜日

ニューヨークへの思い


一昨日、ニューヨークから、後輩が来た。我が家で鍋をつつきながら楽しいひと時を過ごした。
彼は芝居の勉強のためNYに行きグリーンカード(永住権)をとり、結婚もし、子供も育てて頑張っている。今回メンバー何人かと芝居とワークショップで一時帰国したのだ。
そんな後輩も、祖国日本に帰りたいと思っている。独り暮らしの母親のことなどを思うとそうしなければいけないと考えているらしい。しかし、帰ってきて家族を養う確実なものがないのですぐには決められないのだ。
昨日も撮影で一緒になった一人(モデル)と一緒に帰りながら話をして、みんな一生懸命に生きているんだと感じた。まだまだ俺も頑張りが足りないなと実感!
あらためて、人生について考えさせられた。

でも、また、NYに行きたくなった。後輩の所に居候でもしながらブロードウェイにまた芝居を観に行こうかな?
写真は昨日の東京ベイのつながりで東京タワーがそびえたっているところ。

2009年3月10日火曜日

そんな歳か?

最近、劇団の同期の2人の親御さんが相次いで亡くなった。やっぱり親が亡くなるということは最大の悲しみだもの。
あらためて、自分の親の歳を確認してみるともうそんな歳か?がっくりくる。いままで自分のことでいっぱいだったせいか、近いところでもそういう状況は当然あったはずなのに、親はいつまでもいるもんだと思い込んでいる。よく、人は親を亡くしてはじめて、「もっとああしてやっていればよかった!」などと後悔する事が多いのは分かる気がする。
生きているうちに何ができるか?と考えなくはないが・・・・・・つい甘えているかな?・・・・反省!